今の推しは、まらしぃさんです。ピアノの音色に情景が宿るような演奏に惹かれて、ここ数年は彼の音楽を中心に聴いてきました。福山雅治さんのことは、もう長いこと意識することもなくなっていました。 ところが最近、「ブラックショーマン」を観たり、「ガリレオ」の再放送や映画の番宣を目にする機会が重なり、ふと懐かしさがこみ上げてきました。そんな流れの中で、ブラックショーマンのロケ地を巡る旅に出かけた道中、車の中で福山雅治さんの音楽を10年ぶりくらいに聴いたんです。その瞬間、過去の記憶や感情が静かに揺れ動きました。
この記事では福山雅治さんのラジオに惹かれて15年ファンだった筆者が、結婚を機に距離を置いた理由と、最近映画や音楽を通じて再び心が揺れた体験を綴ります。推しが変わっても、心に残る存在との“静かな再会”について、過去と現在の視点から振り返ります。
福山雅治さんのラジオに惹かれていた日々
福山雅治さんのファンになったきっかけは、テレビでも映画でもなく、ラジオでした。たまたま車に乗っていた日曜の夕方、TOKYO FMで流れていたトーク番組を聴いていたときのことです。話が面白くて、誰だろうと思いながら聴いていたら、最後に「福山雅治でした」と名乗ったんです。その瞬間、驚きました。テレビで見ていた印象とはまるで違っていて、「こんな語りをする人だったんだ」と、強く惹かれたのを覚えています。
そこから調べてみると、土曜の深夜には「魂のラジオ」という番組も担当していることを知りました。深夜放送だったので、毎週録音して、長距離ドライブのときにまとめて聴いていました。ラジオの中で語られる日常の話、音楽の裏側、時には社会への視点まで、どれも飾らない言葉で語られていて、聴くたびに距離が縮まるような感覚がありました。
テレビでは“俳優・歌手”としての福山雅治さんを見ていましたが、ラジオでは“人としての福山雅治さん”に触れていたような気がします。その声と語り口に惹かれて、気づけば15年もファンとして応援していました。
ファンになりたての頃は、ちょうど子どもたちが生まれた時期でもありました。そんなこともあって、我が家ではましゃのラジオや音楽が日常の一部になっていました。深夜に録音した「魂のラジオ」を車で流しながら、家族で遠出することも多く、子どもたちは自然とましゃの声や曲に触れて育ちました。
その記憶がよみがえったのは、最近の家族ドライブのときです。長男が自分のスマホを車のスピーカーにつないで音楽を流していたのですが、そこから流れてきたのは、福山雅治さんのかなり昔の曲でした。「えっ、ましゃ?」と驚いたのと同時に、少し胸が熱くなりました。親の私はもう聴いていなかったのに、子どもの中にはちゃんと残っていたんですね。音楽って、記憶と一緒に染み込んでいくものなんだなと、改めて感じました。
結婚と、ファンを離れた理由

2015年9月、福山雅治さんの結婚報道が流れたとき、私は静かにファンをやめました。怒りや嫉妬ではなく、関係性が変わってしまったような感覚でした。それまで勝手に“近くに感じていた”存在が、急に遠くなったように思えたのです。
もちろん、結婚は祝福すべきことですし、本人の人生を尊重する気持ちはありました。ただ、私自身の中で応援の形が変わってしまったのだと思います。
その年の11月は、ファンクラブの更新時期でした。迷いながらも、更新はせずに退会しました。それ以降、福山雅治さんの作品に触れることはほとんどなくなりました。
しばらくはもやもやした気持ちを抱えていましたが、さらに奥さんの妊娠報道(もしくは出産報道だったかもしれません)を目にしたときに、気持ちがすっかり離れてしまいました。そのタイミングで、これまで大切にしていたCDや会報、グッズもすべて手放しました。自分でも驚くほど潔く、ましゃとの距離を断ち切ったような感覚でした。
ファンとして過ごした時間は確かに充実していたけれど、あのときの私は、もう前に進むしかないと思っていたのかもしれません。
映画と音楽で再び揺れた日
そんな私が、今年「ブラックショーマン」を観ました。主演は福山雅治さん。かつての“ましゃ”が、スクリーンの中で堂々とした存在感を放っていました。冷静で皮肉屋な元刑事という役柄に、ラジオで聴いていた語り口が重なって見えました。
演技の変化も感じました。若い頃の爽やかさとは違い、今は重厚さと余裕がある。それでも、目線や声のトーンには、昔から変わらない“福山雅治らしさ”が残っていて、懐かしさがこみ上げました。
さらに、テレビでは「ガリレオ」の再放送が流れていました。湯川先生の「実に面白い」というセリフは、今でも鮮明に覚えています。当時の自分がどんな気持ちでこのドラマを見ていたか、思い出すきっかけにもなりました。
そして旅先。ブラックショーマンのロケ地を巡る車の中で、久しぶりに福山雅治さんの曲を流しました。「それがすべてさ」「Squall」「99」——どれも、私の15年を彩ってくれた曲です。
「それがすべてさ」は、長男が幼稚園のお遊戯で踊った思い出の曲。「Squall」は、私自身がピアノで練習していたことがあり、音の流れに指先の記憶が重なります。そして「99」は、しばらくの間スマホの目覚ましに設定していた曲で、朝の空気とともに染み込んでいる一曲です。
今はもうファンではないけれど、音楽が記憶をつなぎ直してくれたような気がしました。車の窓から流れる景色と、ましゃの声が重なった瞬間、過去の自分と今の自分が静かに再会したような感覚がありました。
推しが変わっても、心に残る人はいる
今の私は、まらしぃさんの音楽に夢中です。福山雅治さんとは違う魅力があります。でも、福山さんのラジオに惹かれていた日々は、確かに私の中に残っています。ファンをやめたからといって、すべてが消えるわけではない。むしろ、時間が経ったからこそ、懐かしさや感謝の気持ちが芽生えるのかもしれません。
映画と音楽を通じて、10年ぶりに“ましゃ”に触れた日。それは、過去の自分と今の自分をつなぐ、静かな再会でした。
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