【映画『愚か者の身分』レビュー】ネタバレあり|綾野剛・北村匠海の演技が刺さる

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映画『愚か者の身分』を観てきました。
正直、観る前は失礼ながら、あまり期待をしていなかったんです。
ロケ地は都内近郊だし、あまりお金がかかっていない感じがしたので、2時間ドラマとそれほど変わらないんじゃないかと思って。

予想は良い方に裏切られ、かなり感情を揺さぶられた映画でした。
ある意味、『国宝』以上に心を揺さぶられたかもしれません。

そんなわけで、映画『愚か者の身分』レビューです。

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映画のあらすじ

新宿・歌舞伎町で、SNSを使って女性になりすまし、孤独な男性から個人情報を引き出すマモルは、戸籍売買などの闇ビジネスに関与する若者のひとりです。
ある日、上司の佐藤から兄貴分的な存在であるタクヤと距離を置くように指示されます。
翌日、タクヤの部屋の清掃を命じられたマモルが目にしたのは、部屋中に飛び散った血痕でした。それは、タクヤが“消された”ことを示していました。

悲しみに暮れるマモルの元に、タクヤからメールが届きます。
そこには、自分の命が危ないこと、そして佐藤が上の事務所から横取りして隠していた1億円のうち、2千万円を江川春翔という男に、残りをマモルに遺すというメッセージが記されていました。
江川は、かつてタクヤに戸籍を売ったことのある人物です。

一方、タクヤは佐藤の命令で拘束され、手足を縛られた状態で大きなカバンに詰められ、運び屋の梶谷によって山梨の闇病院へ運ばれます。
指定された場所には一度到着しますが、梶谷は中には入らず、そのまま車で逃亡を始めます。
梶谷はタクヤを闇ビジネスに誘った兄貴分的な存在で、組織に嫌気がさしていたこともあり、タクヤと共に逃げることを決意します。

その頃、マモルはタクヤの指示通り、貸倉庫から金を持ち出し、2千万円を江川に渡します。

梶谷とタクヤは、車に装着されていたGPSによりジョージの組織の追っ手に襲われますが、梶谷の女のツテを頼って神戸のマンションに潜伏することに成功します。
その部屋は、梶谷の彼女が以前勤めていた店の2階です。

ラストシーンでは、タクヤが見えない目で弟の好きだった鯵の煮つけを作り、梶谷と黙々とご飯を食べる姿が描かれます。
テレビからはジョージと佐藤の逮捕を伝えるニュースが流れていますが、二人がそれを実際に観ていたかどうかは明示されていません。
外では警察の車が張り込んでいる様子が映されます。その刑事はマモルが最初に関わった客・前田でした。

そして物語の最終シーンでは、マモルがひとり橋の上にたたずんでいます。
その橋は、物語の中で何度も登場する都会の橋なのか、逃亡先の橋なのかは分かりませんでしたが、その後のマモルの人生は観客の想像に委ねられます。

映画では、タクヤ・マモル・梶谷の3人に焦点が絞られていて、希紗良など他の人物についてはあまり詳しく語られません。
原作には映画に登場しない人物もいるようで、物語の背景や関係性がさらに深く描かれているのかもしれません。
原作もぜひ読んでみたいと思いました。

都市空間が支える緊張感

物語の起点となる新宿・歌舞伎町は、匿名性と閉塞感が共存する都市空間です。
ネオンに照らされた路地裏、無機質なビル群、誰がどこにいても不思議ではない雑多な空気—そうした場所だからこそ、登場人物たちの孤独や焦燥がリアルに浮かび上がります。

ただし、逃亡劇そのものは新宿では展開されません。物語が動き出すのは、タクヤが拘束され、梶谷によって車で運ばれる場面から。
その後の舞台は山梨の闇病院や神戸のマンションなど、都市の喧騒から離れた“閉じられた空間”が中心になります。
病院、貸倉庫、マンション—いずれも外界との遮断が登場人物の心理状態とリンクしていて、逃げ場のない緊張感を生み出しています。

その中で、タクヤが鯵の煮つけを作る場面のように、わずかな生活の気配が差し込む瞬間が、かえって物語の重さを際立たせていました。
都市の空気は背景にとどまらず、登場人物の選択や感情を支える“もうひとつの登場人物”として機能しているように感じます。

選択が浮かび上がらせる関係性

この作品では、登場人物たちが何を選び、何を守ろうとしたのかが、物語の根幹を支えています。
タクヤは、佐藤に利用されながらも、最後までマモルに金を託そうとし、命の危機に瀕しながらも誰かのために動こうとします。
マモルは、兄貴分であるタクヤの変化に戸惑いながらも、彼のメッセージを受け取って動き出します。
梶谷は、組織の命令に従う立場にありながら、タクヤを運ぶ途中でその命令を拒み、逃亡を選びます。

それぞれが「命令に従うか」「誰かを守るか」「金をどう扱うか」といった選択を迫られ、その選択が関係性を浮かび上がらせていきます。
単なる逃亡劇ではなく、誰かのために動くこと、誰かを裏切らないこと、そして自分の立場を問い直すことが、物語の中で静かに描かれていました。

3人の関係性は、共犯者でもなく、家族でもなく、しかし確かに“何かを共有した者同士”として結ばれていて、その曖昧さがかえってリアルに響きます。

細部と余白が語るもの

この映画の魅力は、物語の構成や人物造形だけでなく、細部に宿る演出の丁寧さにもあります。
たとえば、梶谷の愛車として登場するレトロな中古のワゴニアは、綾野剛さん自身の提案によるものだそうで、彼のキャラクターにぴったりと馴染んでいました。
梶谷がたばこの吸い殻を拾ったり、まだ火のついた吸い殻を丁寧に消す場面も、彼の人柄がにじみ出る印象的なシーンでした。
また、逃亡中に傷ついて眠るタクヤを起こさないよう、梶谷がそっと物を置くカットは、台本にはなかったものの、現場でのセッションから生まれたと明かされています。

マモルが鯵の煮つけを食べる場面では、彼の箸の持ち方が正しくなく、育った家庭環境が垣間見えるようでした。
こうした細やかな描写が、登場人物たちの背景や心情をセリフ以上に雄弁に語っていて、作品全体に深みを与えていたように思います。

闇ビジネスに関わる若者たちを描いた物語でありながら、彼らは決して完全に腐りきった存在ではありません。
それぞれが、どこかで自分の生き方に疑問を抱き、そこから抜け出そうともがいている。
その姿に、私は強く心を揺さぶられました。

環境に恵まれなかった人間が、貧困や搾取の連鎖からどう抜け出せばいいのか—
この映画は、明確な答えを提示するわけではありませんが、問いを投げかけられているように感じます。
マモルが託された金で人生をやり直し、タクヤと梶谷も刑期を終えたあと再びどこかで出会って、3人で人生を立て直してほしいと、私は願わずにはいられませんでした。

まとめ

海外ロケや派手な演出があるわけではありませんが、非常に心を揺さぶられる映画でした。
原作の力に加え、キャスティングの的確さと、俳優陣の演技の素晴らしさが光っている作品だったと思います。

なお、本作の原作小説には続編があり、『愚か者の疾走』が2025年11月に刊行予定とのこと。
物語のその後がどのように描かれるのか、非常に楽しみです。

ぜひ劇場で観てほしい。おすすめです。

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